原爆ドーム
8月6日は、1945年に原子爆弾が広島に投下された日です。
広島の平和公園では毎年、平和記念式典が開かれています。

原爆といったらまず原爆ドームが思い浮かぶでしょう。
その外観から、原爆の恐ろしさを垣間見ることができますが、実際の爆心地は少しだけズレた場所にあります。

実際の爆心地は、原爆ドームから200m程の場所にある、「嶋外科内科」(今でもやってます)という病院の真上です。
原爆による熱線の温度は3,000~4,000度。
鉄が溶ける温度は1,500度なので、爆心地付近にいた人は一瞬で蒸発したのです。

そんな悲惨な日から72年経つ今でも、平和を祈る人々の声は止みません。

2016年8月6日、労働組合役員を辞める決断をする。

さて、そんな8月6日ですが、自分自身にとってもある意味思い出深い日付となっています。
というのも1年前の8月6日、労働組合の役員を辞めるという決断を、心の中で固く、そして静かに下したのです。
・・・いやまぁ、本当は前日の夜には固く決心してたんですけど、6日って事にしておいて下さい。

労働組合ってのは大体、平和に関する活動が大好きです。
「平和なくして労働運動なし!」とか偉い人はよく言ってました。

所属していた労働組合も、8月5日~6日は泊り掛けの平和活動を行なっていました。
夜の20時頃、平和公園の石段に腰掛け、1人で考えました。
「こんなくだらない事やってていいのか。もう終わりにしよう・・・。」と。

正直、精神的にも相当我慢ならなかったのもあり、そこからの行動は早かったです。
その平和活動の次の日が休みだったこともあり、その日のうちに心療内科に行き、診断書をゲットしたのです。

そこからはとんとん拍子でした。
詳しい内容は、以前の記事に書いておりますのでご参照ください。(⇒参考記事

自分の心の中は「平和」じゃなかった。

そもそも組合の役員になったのも、組合に拉致されたからです。
会議室に監禁されて、「役員をやる」と言うまで逃がしてもらえませんでした。
今の時代じゃ信じられない話ですね。北朝鮮じゃないんだから。

やり始めたらやり始めたで、度重なる理解不能な説教やら、ゴルフセットの強制購入(10万円)などなど・・・。
私の心の中は毎日「平和」とは無縁だったのでした。
特にゴルフセットの件は、借金を背負う身としては相当キツく、分割払いするしかありませんでした。

その「平和」とはかけ離れた組合内部の実状に、一刻も早く脱出しなければと考えたものです。
やりたくない仕事を、無理やり頑張ってやるのは、精神的に大きなプレッシャーが掛かるという事を学びました。

あれから1年、今の心境。

だいぶ気持ちは落ち着いたのですが、実はまた最近、組合にいた時の事を思い出して、眠れなくなることがたまにあるんです。
一人の時間が増え、さらに夜はとても静かなので、色々と思考が巡ってしまいます。

会社ごと辞めて、特に人間関係なんて全て捨てて、しかも1年前の出来事なので「そんなの忘れりゃ良いじゃん」と思うじゃないですか。
これが忘れられないんですよ。
当時の記憶が脳裏に焼き付いて離れないのでしょうか。

体調悪くした時のような不安感は完全に取り払われたのですが、それに代わって、当時を思い出すとイライラする事が多くなりまして。
何か一言でも捨て台詞を吐いて辞めれば良かった、とか思ったりしています。

最後に

8月6日は広島原爆投下の日、8月15日は終戦記念日です。
平和について想いを馳せる特別な日ですが、私自身に「平和」はしばらく訪れそうにありません。

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