先日、ジョージ・オーウェル作「1984年」を読破しましたので、ちょっと書評します。
ネタバレが含まれていますので、お気を付けください。
あらすじ
≪ビッグ・ブラザー≫率いる"党"の真理省で働く主人公ウィンストン・スミス。日々の仕事は『歴史の改ざん』であり、圧倒的な力で人々を服従させる"党"の体制に不満を抱いていた。彼はある日から、党への不満について日記を付け始めた。それにより、自身の気持ちがより浮き彫りになっていく。そして、ジュリアという女性との出会いがキッカケでその気持ちはより加速し、ついに彼らは行動に移していく。
「1984年」を読もうと思ったキッカケ
潜入アクションゲームの名作「メタルギアソリッド」の5作目で、度々この「1984年」のネタが登場するんです。登場人物のリボルバー・オセロットが「ダブルシンク(二重思考)」という思考法を用いることにより、ある重要な役割を果たすのです。
ダブルシンクとは、2つの矛盾する事柄を同時に信じ込む・・・とかいう厨二病が喜びそうな、架空の思考法です。
有名な例えでは、「2+2=4」と理解しつつも、同時に「2+2=5」ということも信じ込むのです。
自己暗示の一種のようなものと考えていいかもしれません。
こういった超人的な能力を発揮するオセロットは、シリーズを通して重要な役割を果たしています。
そんなオセロットを見て、「自分もダブルシンクしたい!」とか思って調べてると、何やら「1984年」というのが元ネタらしい・・・というのがキッカケです。
メタルギアソリッド5には、「1984年」のパロディネタが色々と散りばめられています。
「ダブルシンク」も「1984年」ではガッツリ重要な単語となっているので、興味のある方はぜひ。
感想
さて、「1984年」の感想です。まずこの「1984年」は政治的な描写がかなり多いのですが、その辺りは個人的にえらい難しかったので、感想は省きます。
ちょっと前置き
「1984年」は"党"が国民を監視し、操り、全てを支配している世の中が舞台です。党、そして≪ビッグ・ブラザー≫が絶対的な存在なのですが、そういった独裁に内心不満を抱いている人間もいます。
その1人が主人公であるウィンストンであり、彼は党の人間で、実態を知っているからこそ不満を抱いているのです。
しかし、国民の大半を占めるプロール(貧民)と呼ばれる人々は、基本的に党に不満を抱くことはありません。
党の実態を知りませんし、それだけの情報も与えられていないからです。
党としては国民の大半を占める彼らに、政治的意見を持たれるのはマズイのです。
よって党は、プロールについては積極的に干渉はしません。
とはいえ、党はプロールをコントロールしています。
ここで「無知は力なり」という党のスローガンが思い出されます。
プロールは何も知らないからこそ、何も知らされていないからこそ、党の思い通りに操れるのです。
そして、国民の大半を占めるプロールの声は国全体の声となり、力となるのです。
労働組合で働いていた頃と重なる
前置きが長くなってしまいました。
党が絶対的な存在で、それに疑問を抱くものが存在し、プロールと呼ばれる何も知らない貧民が操られている・・・。
この関係を考えたとき・・・、私が昨年まで働いた労働組合を思い出しました。
そして、主人公のウィンストンの立場が、自分と重なる気がしました。
上に図で表してみたのですが・・・、置き換えるとこんな感じになります。
組合員は労働組合の一部ではありますが、実質プロールと同じような立ち位置です。
自身が組合員であると認識していなかったり、組合に半強制的に加入させられた人々が大多数だからです。
組合中枢は、そんな組合員から毎月組合費を巻き上げています。
そして組合員は、毎月当たり前のように賃金から引かれている組合費に、何の疑問も持たないのです。
労働組合としては、まさに「無知は力なり」といった状況で、「1984年」と重なります。
さらに組合の役員であった私は、組合活動に疑問を抱きつつも働いていました。
現政権を批判しまくって、組合員には支持政党の支援を押し付ける・・・。
まるで組合の活動は、「1984年」で党の打倒を目指すゴールドスタインを猛烈に批判し、その反面、党を信仰させるかのような形になっていました。
作中に登場する「二分間憎悪」のようなものはもちろんありませんでしたが、組合にどっぷり浸かっていた当時の上司が、他人がいる街中で現政権を大声で批判し始めたのにはドン引きしました。
そんな組合に私は嫌気がさして、ついに辞めたわけですね。
また、私は組合役員になる時に、会議室に監禁されて拉致される形で組合に参加しました。
順序は逆ですが、こちらも主人公のウィンストンが、オブライエンに拷問されるシーンとも重なりました。
ただ、そこで「二重思考」を仕込まれるような洗脳をされたわけではありませんが・・・。
もし自分が労働組合に反発していたら
結局「1984年」のウィンストンは、党に思考犯として捕まり、壮絶な拷問の末、最終的に屈服してしまいます。読み手の私としてはなんとも後味が悪かったのですが、党の支配する世の中で生きるウィンストンとしては、ハッピーエンドだったのかもしれません。
主人公のウィンストンは、党へ反発するために行動を起こしました。
それに対して私は、労働組合をぶっ潰す・・・という訳ではなく、単純に辞めました。
もし自分がウィンストンのように、自らが所属している組織に反発していたら、どうなっていたのだろう・・・と考えることがあります。
作中では党に反発する裏の組織として、「ブラザー同盟」と呼ばれる反政府組織が存在すると考えられています。
私の場合は、そういった裏の組織が存在する訳でもありませんので、まずはたったひとりで労働組合に反発することになったでしょう。
労働組合に所属しながら反発したなら、間違いなく除名処分にはなるでしょう。
ですが、やる価値はあったんじゃないかな、とも思うことはあります。
「プロール=組合員」達の中にこそ希望がある
主人公のウィンストンは作中で、以下の様に日記に書きます。「希望があるとするなら」――とウィンストンは日記に書いた――「それはプロールたちのなかにある」結局作中では、プロールが反逆する場面はありません。
もし希望があるのなら、プロールたちのなかにあるに違いない。なぜなら、かれらのなかにのみ、オセアニアの人口の85%を占める、あのうようよと溢れかえるほどの無視された大衆のなかにのみ、党を打倒するだけの力が生み出され得るからだ。
プロールに党を打倒する力があると言えるのかも、実際は分かりません。
ですが労働組合も・・・、組織を打倒するだけの力は、きっと組合員のなかにあるのかもしれません。
組合員一人ひとりが労働組合に対する意識をはっきり持つことで、打倒とまではいかずとも、労働組合が力を持ち過ぎ、間違った方向に向かう現状を変えることができるのかもしれません。
労働組合に入っている人は、毎月賃金から数千円が組合費として消えます。
納めている組合費はもしかしたら、役員連中の飲み会代や、タクシー代になっているかもしれません。
労働組合に入っている人は、納めている組合費だけの活動をしているのかどうかを考え、意識する必要があります。
まともな活動をしていないのであれば、組合員同士が団結して声をあげなくてはいけません。
・・・って、そもそも好き勝手する会社に物申すために、社員が団結して声をあげるのが労働組合です。
その労働組合に対して組合員が団結して物申すってのは、笑えますね。
労働組合は無くなるべき?
あくまで私が所属した労働組合のことを挙げていますので、お間違いなきよう・・・。労働組合自体の存在は否定していません。
ブラック企業が蔓延る今の社会で、労働組合が必要な場面は多く存在するでしょう。
歴史ある企業では、労働組合が力を持ち過ぎているのではないかと思われる所もあります。
会社の人事にまで口を出してくることさえあるようです。
極端な話ではありますが、個人的に、労働組合は将来的には無くなるべき組織と考えています。
それは犯罪の無い世の中には、警察がいらなくなるのと同じ考え方です。
実際そんな世の中はありえませんが、会社側が労働者の納得のいく賃金を支給し、無駄な残業を抑えたりなどすれば労働組合はいりません。
・・・まぁ、そんな単純な話ではないでしょうが。
長年に渡って組合活動をしている組織が未だ存在し続けているということは、労働条件を改善しきれていないからなのでしょうか。
もしくは大きな権力を手放したくないだけなのか・・・。
だとすると、組合が裏で会社と手を組み、無駄に会社側との交渉をし続けているのか・・・。
それこそまさに「1984年」のような世界ですね。
最後に
さて、明日は投票日ですね。皆さんはどの政党に投票するかお決めですか?
「無知は力なり」・・・。
これは権力を保持しようとする政党が、何も知らない国民をそのままに操っている状態をいうのでしょう。
そうならないためにも、現代社会に意識を向けて、自らの意思を示したいところです。
ちなみに今回書評した「1984年」ですが、400ページ超のボリュームです。
普段小説なんぞ読まない私がなんとか読めたくらいなので、やはり内容としては面白いです。
興味を持たれた方はぜひ読んでみて下さい。